感無量

 

今年は、わたしにとってとても意味深い年になりました。

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このねずみのパテ・シュール・パテの実験をしてから、実はもうだいぶ経つんですけど(二年くらいかな?原画はセーブルのものを模写しました)

大きな作品をいろいろ作り、それを実際に見ていただく機会に恵まれて、これまでしてきたことが、思いのほか多くの方々に受け入れられるという事が、とても大きな発見でございました。

 

 

まだ絵をつけるまえの皿です。

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これもいい皿を持っていたものだなあと、やっぱり絵と皿の相性は大きいなとしみじみ思ったこの平戸の皿でした。

 

 

五角形を模様に取り入れようと思ったのは、「Doily」をお重に描いたときでした。

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とても描きにくい(配置が難しい)モチーフなので、これだけを題材にして描いてみたいなと思い始めて、このペンタゴンは生まれました。

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蒔絵を自分風の表現にする、というこのお題と重ねて、壺に描きました。

実は、この壺が一番難しかったんです。

これには台があるのですが、その形状が絵を置くのにとても難しい。

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今年は絵に対して悩んだし、自分の身体の事もありましたので、ホントに描ききれるのかな?と随分不安だったのですけれど、周りの方々の支えがありまして、何とか形にすることが出来ました。

代表作となる「受胎告知」を発表し、これからの方向を形付ける上で、作家としてとても重要な年となりました。

アトリエプチリスの岩井小百合先生をはじめ、回りの方々の励ましの言葉があり、ここまで来る事が出来て、本当に感無量でございます。関係者各位、そしてここまで支えてくださった友人にお礼申し上げます。

Bleu et bleu を立ち上げた三年前には、何も見えない状態で、自分が何をしていけばいいのかすら見えていませんでしたが、陶磁器の世界で、自分の役割みたいなものを再認 識する事が出来、また、日本全国におられる同じ陶磁器の世界で活躍される方々の中で、わたしもその責任を果たしていければいいなと、思うに至りました。

これからはもっともっと、陶磁器の研究に切磋琢磨してまいりますので、来年もよろしくお願い申し上げます。

Blue et bleu NORIKO SAKAI

 

 

どこまでも、描く

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創画会の小池一範氏が亡くなったと、今朝連絡があった。

 

小池さんは高校時代からわたしの通っていた制作室というアトリエの先生だった。

デッサンを教わっていたのだけれど、日本画のひとの絵はストレートで分かりやすい。

この絵はその頃描いたものだけれど、これを見て笑っていた。

「飲んだ事もないのに、なんでこんなに旨そうに描けるんや」

 

習い始めた頃は、風変わりなその雰囲気がおもしろくて、いつも擦り切れた靴を履いて、天然パーマの髪に吊るしのジャケット、何とも研究者のようで不思議なひとだった。

先生の父親というひとがまた変わっていて、「絵描きたるもの、絵しか描かなくていい」という考えの持ち主で、他で稼ぐな、というある意味すごいスパルタな方だったらしい(笑)。

 

「もっと自由に線を引いてごらん。ひかりと影、こんな風に見えてるか?もっと感じたままに描いてみ。」

デッサンの基礎があるのだから、絵としてその中に何を描きこむのか、そこに何を感じて描いているのか、鉛筆に反映していきなさい、と言われた。

小池さんがわたしの絵に入れた鉛筆は、なんともふわふわした色と形だった。

鉛筆にも様々な色や表情があって、それをもっともっと使え、と。

この考え方は、やはり日本画だった。

小池さんに出会ってから、わたしの絵はかなり変わった。

神経質だった素描が、だんだん大らかになっていって、自由度が増していった。

色彩構成も、くすんだ色ばかりだったのが、ヴィヴィッドな色を要所要所に使うようになって、色の深みが増していった。

 

一度、小池さんに案内してもらって、制作室の仲間と創画会の絵を見に行った事があった。

初めて見た小池さんの絵は、とても緩やかな空気の下町の風景だった。

町の中のそこここのいろんな匂いがしてきそうな、やさしい絵だった。

家から流れる煮物の匂い、ちょっと湿った土の入った鉢植え、乾いた風に乗った雑草の匂い。

 

小嶋先生をとても尊敬していて、いつかあんな表現が出来るようになりたい、と言っていたけれど、本当に抽象の表現へと変化して行った。

色彩は相変わらず柔らかな色使いだけれど、描いているものがだんだん変化していったような気がする。

内へ内へ、自分の内面へと向いているような、こころの絵。

 

小池さんが最期に何を見ていたのか、今となっては知る由もないけれど、いつまでも先生はわたしの中で、絵描きとして目指すところであるのには違いないのだった。

そのひとの生き様そのものが、何よりの手本であるというのは、昔からのわたしの信念である。

あの一見さまようような瞳の中に、何ものも見逃さない鋭い光を見たひとは、決してわたしだけではないはずである。

わたしも今日と云う日に、これからどうして生きていくのか少し見えてきて、先生の死去により、「描く」という事が、より明確な目的になったのだった。

 

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