創画会の小池一範氏が亡くなったと、今朝連絡があった。
小池さんは高校時代からわたしの通っていた制作室というアトリエの先生だった。
デッサンを教わっていたのだけれど、日本画のひとの絵はストレートで分かりやすい。
この絵はその頃描いたものだけれど、これを見て笑っていた。
「飲んだ事もないのに、なんでこんなに旨そうに描けるんや」
習い始めた頃は、風変わりなその雰囲気がおもしろくて、いつも擦り切れた靴を履いて、天然パーマの髪に吊るしのジャケット、何とも研究者のようで不思議なひとだった。
先生の父親というひとがまた変わっていて、「絵描きたるもの、絵しか描かなくていい」という考えの持ち主で、他で稼ぐな、というある意味すごいスパルタな方だったらしい(笑)。
「もっと自由に線を引いてごらん。ひかりと影、こんな風に見えてるか?もっと感じたままに描いてみ。」
デッサンの基礎があるのだから、絵としてその中に何を描きこむのか、そこに何を感じて描いているのか、鉛筆に反映していきなさい、と言われた。
小池さんがわたしの絵に入れた鉛筆は、なんともふわふわした色と形だった。
鉛筆にも様々な色や表情があって、それをもっともっと使え、と。
この考え方は、やはり日本画だった。
小池さんに出会ってから、わたしの絵はかなり変わった。
神経質だった素描が、だんだん大らかになっていって、自由度が増していった。
色彩構成も、くすんだ色ばかりだったのが、ヴィヴィッドな色を要所要所に使うようになって、色の深みが増していった。
一度、小池さんに案内してもらって、制作室の仲間と創画会の絵を見に行った事があった。
初めて見た小池さんの絵は、とても緩やかな空気の下町の風景だった。
町の中のそこここのいろんな匂いがしてきそうな、やさしい絵だった。
家から流れる煮物の匂い、ちょっと湿った土の入った鉢植え、乾いた風に乗った雑草の匂い。
小嶋先生をとても尊敬していて、いつかあんな表現が出来るようになりたい、と言っていたけれど、本当に抽象の表現へと変化して行った。
色彩は相変わらず柔らかな色使いだけれど、描いているものがだんだん変化していったような気がする。
内へ内へ、自分の内面へと向いているような、こころの絵。
小池さんが最期に何を見ていたのか、今となっては知る由もないけれど、いつまでも先生はわたしの中で、絵描きとして目指すところであるのには違いないのだった。
そのひとの生き様そのものが、何よりの手本であるというのは、昔からのわたしの信念である。
あの一見さまようような瞳の中に、何ものも見逃さない鋭い光を見たひとは、決してわたしだけではないはずである。
わたしも今日と云う日に、これからどうして生きていくのか少し見えてきて、先生の死去により、「描く」という事が、より明確な目的になったのだった。
