レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」を、久しぶりに読み返した。
どうしても長く解けなかった謎、というか、分からなかった事を、読み取りたいと思ったからだった。
私立探偵フィリップマーロウは、ふとした事でテリー・レノックスという富豪の娘シルヴィア・ポッターと結婚した元イギリス兵と出逢う。
このテリーの出現により、様々に入り組んだ組織と、事件とに関わっていく事となる。
テリーはどこか人好きのする、魅力ある人物だった。
マーロウの真の魅力を理解していたのも、テリーのある種才能だったのかもしれない。
金持ちの暮らしに居ながらにして、うだつの上がらない私立探偵と逢って、しずかなバーでギムレットを飲む事を楽しみにしていた、本当の人付き合いを知っていた人物だった。
そのテリー・レノックス、この本を語り出すときりがないので、今日読み返した理由だけ記しておこうと思う。
テリー・レノックスはどうして『夢の女』と呼ばれた程の絶世の美女より、気立ても素行もいい加減なシルヴィアを選んだのだろうか?
これがずっと解けない謎だった。
でも、今日読み返してみて、すっと入ってきたのは、「生身の女」であるシルヴィアを選んだという事だったのかなと、何となく理解が出来たのだった。
「夢の女」と称される、レノックスが戦前イギリスで結婚していたアイリーンは、何処までも夢の女であり、その中身に自己というものが感じられないのだと、何度も読み返すうち分かってきた。
シルヴィアはその点、「Fresf & Blood」、そう、「生身の女」であった。
生きていて、実体もあり、活き活きと彼女なりにその生を楽しんでいた。
それは、女として、人間として、何より大切で、人を惹きつけるポイントなのだと思った。
わたしも、やはり金色の蝶より、その溢れる生気を感じて生きている事に魅力を感じる方なので、レノックスやロジャー・ウエイドがシルヴィアに惹かれた理由が分かった気がした。
アイリーンが最後まで理想だけを追いかけていたのは、自分の中に追求するものがなかったのかと、少し可哀想な女性なのかもしれない、と思ってしまった。
男だけではなく、自分の中の世界を持っていれば、もっと夫婦がよりそって生きていける、それこそが理想の夫婦になれたのかもしれないと思うと共に、それぞれが高め合い、より良い関係が築けた二人だったのではと思うのだった。
レノックスに残したあの不遇な想いは、一体何だったんだろうかと、独り身ならまだしも、再度伴侶を得た身、お互いに寄り添って生きていける方法はいくらでもあったのではと思うのだった。
長いお別れで残念なのは、シルヴィアの魅力の片鱗でもいいから描かれていれば、この二人の相対的な違いが見えてきて、もう少し女性としても共感できる物語になったのかもしれないなという事だった。
「夢の女」という言葉が作り上げた幻像は、シルヴィアと対照的に描くことで、もっと活きてきて、テリーの失踪の原因ももっと鮮明に描かれていったのではと思う。
テリーは、きっとテリーなりにシルヴィアを想っていたのだと思える言葉がちらちら出てくる。
その代わり、アイリーンは「どうでもいい女でも、刑務所に入れることは出来ない」という言葉から、戦後の彼にとって何の意味も成さない存在になっていた。
その差異が生んだ悲劇だったのかもしれない。
アイリーンはいつまでも夢の世界から出られず、過去に生きていた、悲しい女性だったのだと、読み返し改めて感じた。
現在の彼女の夫ウエイドも、そのアイリーンに愛想を尽かしていたのかもしれない。
シルヴィアに二人の男性を奪われてしまった理由が自己にある事を考えなかったのも、結局アイリーンが愛していたのは自分自身だけだったのではないだろうか。
本当に相手を愛しているのならば、相手が何処で何をしていようと、それがそのひとのためになるのであれば、しっかり正面から見つめていられるはずではないだろうか。
テリーレノックスの魅力もまた十全に描かれているとは言い難いですよね。
テリーはちょっと助けたくなるような弱さ人間的魅力を持っている、マーロウが惹かれる様子から私たちはそう思わされるだけです。
シルビアは殺された後でさえ実姉リンダから悪しざまに言われるほど身持ちの悪い女でした。
身持ちの悪い女に引き寄せられる男たちというのがいつの時代にもいて、テリーもロジャーもそうだったのでしょう。
一方、テリーとの結婚を戦争によって引き裂かれたアイリーンが有名作家ロジャーと出会ってどのような経緯で結婚したかも全く描かれていません。
更にマーロウは最後にリンダと一度寝たけれど、それがマーロウにとっての夢となりリンダもそれを忘れかねて後の二人を決定づけたというにはお粗末な描かれ方でした。
マーロウのうちに泊るつもりでやってきたリンダ、一泊用のバッグ持参で運転手付きの車でリンダがやってきたところなどちょっと滑稽でその滑稽さは深刻な話を薄める息抜きなのかとも思えたけれど後の二人の結婚(しかも金目当てでない)に結び付く要素など何もありません。
大事な心情、心象などどこにも書かれていない。
戦争故とはいえ、テリーがアイリーンの純愛を裏切った事実(アイリーンを探し出そうとしなかったこと)、静かにそれを断罪したアイリーンの姿がこの物語の肝だと私は考えます。それに呑み込まれた哀れな男、テリーレノックスの狡い生きざまに翻弄されたマーロウでした。
戦争によって引き裂かれた新婚夫婦、テリーとアイリーンが申し合わせたように玉の輿に乗ったという事実は何を意味しているのでしょうか?
知らず知らず二人はそうやって戦争に仕返ししたかったのかも。
そして、アイリーンを自殺に導いたマーロウがテリーレノックスの義姉に当たるシルビアと結婚したとなると、
善悪が反転した物語と言いたくなります。
こんな放置されたブログにコメントをいただきありがとうございます。
それに、こんな特別な題の内容なのに、しっかり書いていただいて感謝いたします。
チャンドラーの小説は、数冊繰り返し読んだのですが、マーロウのものは特に一人称小説なので、限界があるのかなとも思います。
ただ、被害者の話を描いてない、というのは、少々推理小説としては片手落ちかなという印象を受けたのでした。
アガサ・クリスティーの描くエルキュール・ポワロの言葉に、こういう意味のものがありました。
「私は今、メアリ(被害者)を知っていて、まだメアリの死を知らない人間に会ってみたい」
これは、そのメアリの印象を正直に話してくれる人間を探している、という事です。
つまり、被害者の周りへの生前の影響力を知っておきたい、という事です。
推理小説、または殺人事件において、被害者の特徴を知る事は捜査上大切な要素であるという事を物語っています。
今テレビで放映されているようなミステリーでも、被害者の話は必ずと言っていいほど当たり前に出てきます。
でも、この「長いお別れ」には、シルヴィアの事はほとんど書かれていないんですね。
ただ、男好きなだらしのない女性だった、としか読めないのですね。
でも、それは一方方向からしか見てない印象ですよね。
わたしは小説家の云々より、このシルヴィアの捜査をするマーロウが読みたかったなと思ったんですね。
そうすればもう少し早くアイリーンの暴走も止められたんじゃないかなと思うんです。
まあ、結果論ですけどね。
テリーの弱さを許せなかったマーロウも、また弱い人間なのかなと、最後のところで思いました。
テリーはマーロウの事を好きだったけれど、人間はやはり弱い自分を守ってくれる男性や女性、あるいは仲間の方を、結局は求めますよね。
その心理的な矛盾をこの物語は描いているのかなと、今改めて思います。
テリーとアイリーンはその点で、まったく対照的な人間として描かれたのかなと思います。
アイリーンは理想を求め、テリーは実際の利を求めた。
結局相容れない間だったのでしょうね。
マーロウもそういう意味では理想主義なのかなと感じました。
だからリンダと結婚したんでしょうね。
長いお返事いただいて考えてしまいました。
>テリーとアイリーンはその点で、まったく対照的な人間として描かれたのかなと思います。
>アイリーンは理想を求め、テリーは実際の利を求めた。
結局相容れない間だったのでしょうね。
>マーロウもそういう意味では理想主義なのかなと感じました。
だからリンダと結婚したんでしょうね。
テリーとアイリーンが正反対だというのはおっしゃるようにその通りで、それだから若いころには惹かれ合い、しかし戦争に翻弄されて引き裂かれたとき修復不能に陥ってしまったのでしょうか。
私にはアイリーンはテリーが生きているなんて思いも寄らずにいたのが目くるめくフラッシュライトを浴びた再会の一瞬があり、次に裏切りを見て取って以前のテリーとの落差に絶望しただろう心情が切なくて。
辛さから逃れるためアイリーンはシルビアの顔を潰し殺すしかなかったのは自然の成り行きに思えました。
シルビアには性的魅力があって男を引き寄せ自らの魅力を楽しんでいた。シルビアはそういう造形で良いんじゃないかと思うのです。
それなのにリンダ(父親もリンダと同じように考えているようです)はシルビアを身持ちの悪い女だったと歯に衣着せず切って捨てました。
その点がこの小説で一番分からない、物語の瑕疵とでもいうべき部分だと思うんですよね。
そして、マーロウがそのリンダを選んだとなると、「理想主義だからリンダと結婚した」というのはどうでしょうか?
身持ちの悪い女は殺されても仕方なかった。殺したアイリーンも良いわけがない。
消去法でリンダだったの?って感じして、リンダが大金持ちの(シルビア亡き今)一人娘だというのは、マーロウが独立した私立偵としてやっていくことの限界、危機?を感じて保険を掛けた(裏社会に金を使って身の安全を確保できることを)のかしらと思ったりして。
私としては、もしもマーロウが結婚するなんてなったら、アンリオーダンみたいな立場、タイプの女性を選んで欲しかったんですが、でもきっとアンなんかは人質に取られてあっという間に消されちゃうでしょうけど。
>もう少し早くアイリーンの暴走も止められたんじゃないかな
ほんとうを言えば、マーロウがアイリーンに篭絡されて危機一髪で助かってアイリーンを逮捕させるって物語が読みたかったです。
そうした後で、マーロウがテリーを永遠に葬り去るってところが。
でも、マーロウはアイリーンに自殺の教唆した。
どう考えてもこの作品一番の悪はマーロウだ!